大判例

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東京高等裁判所 昭和30年(ラ)99号 決定

抗告人 矢口勝造

訴訟代理人 田中操 外一名

相手方 中川兵太郎

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

本件抗告理由は別紙抗告理由書記載の通りである。

然しながら記録に徴すれば原決定は建物収去土地明渡を命じた債務名義に基く強制執行の為民事訴訟法第七百三十三条第一項に基いて発せられた建物収去命令に外ならないことを認め得るところ、このような命令は畢竟右執行力ある債務名義の正本に基く右強制執行の一部に過ぎないのであるから、基本たる右債務名義に対し付与せられた執行文に関する事由により右執行文の効力が消滅せしめられない限り、このような事由を以て右基本たる執行力ある債務名義の正本に基いて発せられた前記建物収去命令に対する不服の事由とすることは許されないものと解さなければならない。而して本件に於て抗告人が主張する抗告理由も畢竟右のような執行文に関する事由に外ならないから抗告人の主張は認容し難く、その他記録を精査しても原決定には他に何等不当又は違法の点を見出すことができないから、本件抗告を理由のないものとし、民事訴訟法第八十九条、第九十五条を適用して主文の通り決定した。

(裁判長判事 内田護文 判事 原増司 判事 高井常太郎)

抗告理由

一、相手方は訴外鈴木行雄を被告とする東京地方裁判所昭和二十四年(ワ)第六三四号及び同二十六年(ワ)第二二九八号建物収去土地明渡請求併合事件の抗告人に対する執行力ある判決正本に基き、建物収去命令に基き原決定を得たものであるが、原決定には二、以下に詳述する如き違法があり許すべからざるものである。

二、前記債務名義たる判決に附与せられたる執行文は当然無効のものであつて、之を看過してなした原決定は許すべからざるものである。

(イ) 前記判決は昭和二十六年十月十三日言渡され、被告たる訴外鈴木行雄より適法に控訴東京高等裁判所昭和二十六年(ネ)第二一二八号建物収去土地明渡請求控訴事件として繋属中の処、昭和二十七年十二月二十二日本件建物を抗告人に於て譲受けることとなり、翌二十八年二月十八日右事件に抗告人は承継人として民事訴訟法第七十三条に基き参加したが、当事者双方和解のため弁論を為さず、和解進行中の処、翌二十九年六月五日の和解期日に至るや俄に控訴人たる訴外鈴木行雄は被控訴人たる相手方中川兵太郎との間に談合成立、控訴を取下するに至つた。

茲に於て東京高等裁判所書記官久保田昭三は右訴訟参加判決以前にも不拘右控訴取下により判決は第一審判決送達時に確定したりとの見解に基き同年六月二十八日抗告人に対し判決確定後の承継人なりとして執行文を附与することとなつた。然して右執行文附与後である同年八月五日右参加申立に対し却下の判決を為し該判決は昭和二十九年九月六日送達せられた。

(ロ) 前述の如く抗告人は昭和二十八年二月十八日民事訴訟法第七十三条に基き承継人として訴訟参加の申立を為し、該申立書副本は相手方に同年二月二十一日、訴外鈴木行雄に対し同年三月十三日送達せられ繋属するに至つた。同条に基く参加にあつては、同法第七十一条、同六十二条により従前当事者たる訴外鈴木行雄の訴訟行為は「全員ノ利益ニ於テノミ其ノ効力ヲ生ス」べき制約を受けるものであつて、右繋属後の訴外鈴木行雄の控訴取下の如きは何等効力を生ぜざるものである。然るに右を看過して訴外鈴木行雄の控訴取下を有効と誤断し為した執行文附与は全く無効のものである。

(ハ) 抗告人は昭和二十九年七月十三日東京高等裁判所に対し、執行文附与に対する異議の申立を為し同庁昭和二十九年(ウ)第三八四号として繋属したが同庁は右申立を理由なきものとして却下したので、抗告人は右却下に対し特別抗告を提起し最高裁判所昭和二十九年(ク)第三九号事件として繋属中である。執行文附与に対する異議申立に於て東京高等裁判所は、債務承継人たる抗告人よりする本訴参加の手続は民事訴訟法第七十三条に基くものは不適法なりとの理由で、右参加判決をなすことなくその繋属中なるにも不拘、之を無視して執行文附与を認容し其の後に至つて始めて右訴訟参加に対し却下の判決を為し居るものである。たとえ右判決、或は異議申立に於て判断せられたる如く不適法な申立なりとするも(その適法性については後述する)法律上不成立の訴訟行為ではなく之を無視することは出来ないもので、右訴訟行為、即ち形式的にしろ、民事訴訟法第七十条、同第六十二条の準用ある結果前叙の如く従前当事者の訴訟行為制限は一応あるものと考えざるを得ざるもので、之を全く無視し去ることは明かに無効のものであつて、かかる無効なる執行文に対し原決定を為したるは全く違法のものと称せざるを得ない。

(ニ) 抗告人が、民事訴訟法第七十三条に基き訴訟参加を為したのは東京高等裁判所が判示する如く不適法のものではない。我が民事訴訟法は訴訟物の譲渡につき、これを何等制限するところなく之を許すと共に右譲渡の場合を訴訟手続に反映せしめるため民事訴訟法第七十三条、同第七十四条の両規定を設けている。然して、又両法条を通観するとき、第七十三条は「訴訟の目的たる権利」と規定せられ、同第七十四条は「訴訟の目的たる債務」と規定せられたる為め、恰も第七十三条は実体法上の権利譲渡の場合、同第七十四条は一般に実体法上の義務移転の場合と考えられ、又一般に権利の譲受人は自ら訴訟に参加せんことを希望し、義務の譲受人は自ら訴訟に参加せざることを希望するが故に第七十三条は同法第七十一条を準用し、第七十四条は従前当事者より引受申立を為し、第三者を審尋の上、裁判所の裁判により当事者たらしめるものであると解釈せられて居るものであつて、従来通説も之に従うが如くである。(但し債務引受人より訴訟参加の申立あるときも之を許すべしとすることについては昭和十一年五月二十二日大審院判決がある。)然し乍ら訴訟は其の義務ありや、権利ありやにつき既判力を得るための制度であつて、当事者が主観的に権利ありと主張するとき、果して其の権利ありや否やは判決確定に至るまで全く不明のものである。又右の如く当事者の主張する実体上の権利義務を解するとき、例えば本件訴訟につき逆に被告たる鈴木行雄よりイニシアチーブをとり借地権確認の訴を提起したりとすれば、その譲受人たる抗告人は権利承継人たるを得ると解さざるを得ない。右の様に当事者の単なる主観的判断とそのイニシアチーブの如何により区別を設け、一方は訴訟参加一方は裁判所の審尋決定の手続を要すべき訴訟引受と解することは、全くナンセンスと云わざるを得ないところであろう。右に関し最近有力学説は『訴訟が果して其の権利ありや義務ありやの争を解決するための制度である以上訴訟に於いて義務者と呼ばれるものも義務なしと判断せられることにおいて利益の地位に在り、権利者と称する者も権利なしと判断せられることに於いて不利益なる地位に立つことになるのであつて、訴訟の「争」から見れば権利とか義務とかは未だ争の主観的判断に過ぎないのであつて、斯かる観念を以て異別に取扱うべき理由は存しないのである。従つて、この場合に於て「権利」「義務」の語は訴訟状態上の利益又は不利益、即ち生成過程中の既判力に於ける争の当事者の積極的及び消極的地位を意味するものと解すべきである。』と説いている。(兼子一教授民事法研究第一巻一三六頁以下。同説、山木戸克已民事訴訟法講座三〇五頁、同じく両法条の不合理を指摘するもの司法研究第八輯報告書一、岩沢彰二郎判事)。曽て大審院は、第三者たる債務引受人よりも第七十四条に基く訴訟引受の申立を許容すべき旨判示しているが、債務引受人よりの申立は第七十四条に限るべき根拠とすべきか否かは不明である。仮りに第七十四条に限定する趣旨とするならば(後述するように承継人より申立あるときは裁判なきも当然当事者たるべしと解するならば格別)権利承継人に対しては何等裁判の必要なく、債務承継の場合は裁判所の裁判を為すべしとする不合理に陥るものである。更に考慮すべきは、権利承継の場合は詐害訴訟に対する参加申立を適用し、右繋属以後被参加人の訴訟行為制限があるにも不拘(七十一条、六十二条)、債務承継の場合は裁判所の裁判あるまで何等効果なく(引受の申立後と雖も訴訟終了するときは何等効なしとするもの、大判昭和五年八月二日民事四部決定兼子判例民事訴訟法一四四)、被引受人の行為は無制限であるとするならば、前当事者の通謀により認諾、自白等或は本件の如く控訴の取下等自由であつて、債務承継人は何ら為すところなく、其の既判力を受くるの結果となるものである。右に論じた如く第七十三条、第七十四条は前者は承継人より積極的に参加する場合、後者は本案当事者より強制的に承継人を加入せしめる場合と解するを以て妥当とするものである。

(ホ) 仮に同裁判所の判断する如く、第七十三条に基く訴訟参加が許し得ざるものと解したるときは裁判所は単に不適法として之を却下すべきものであろうか。法律解釈は裁判所の職権であつて当事者の主張の有無を問わず(昭和十三年三月二十八日大審院判決家督相続回復請求事件につき当事者の主張なき家督相続の対象となる分家の分家無効を理由として原告の請求を棄却した)又当事者の法律解釈の主張の如何を問わず主張事実に基き判断すべきものである。即ち「法は裁判所の知るところ」であり、「余に事実を語れ、余は汝に権利を与えん」と謂われるところである。抗告人の参加申立が民事訴訟法第七十三条に基く申立の旨申立ありとするも債務承継により本案に参加すべき旨の申立であること明かな以上当事者の準拠法令の表示に拘わりなく相当法条に照して裁判すべきに不拘、之を為す処なく第七十三条に基くは不適法とした処置は法令の適用を誤つたものである。更に最高裁判所昭和二二年一一月二〇日第一小法廷判決(最高民事判例集第一巻一頁)に於て真野裁判官の少数意見として「ただ司法裁判所の救済を求めるために最高裁判所に上告の申立をしたもので、従つて上告の形式をとつたに過ぎない。上告状には訴状としての要件内容は既に十分に記載されている。しかるに上告状、上告人、上告の趣旨、上告理由、上告仕候等の文字が使用してある点のみを捉えて上訴権の行使と解し、上告却下をしようとする態度には賛同することが出来ない云々」と解かれ、上告状を訴状と見て管轄裁判所に移送すべき旨説かれているが、一般に民事訴訟法上訴訟行為の無効の場合の転換を許すべき規定なしと雖も訴訟行為の無効取消の如く訴訟行為の効力を否定し去るのでなく逆に之を維持し其の効力を活かすことを目的とするものであつて訴訟の安定性を害するものではないので民事訴訟法第一八六条に反しない限り許さるべきものである。(訴訟行為の転換に関しては、右最高裁判所判決に対する評釈として法学論叢第五九巻第三号中田淳一)(大審院昭和十一年三月十一日民事四部判決は、死亡者を被告と表示した訴訟につき「本訴ニ於ケル実質上ノ被告ハ即チ被上告人司郎ニシテ唯其ノ表示ヲ誤リタルニ過キサルモノト解スルヲ相当トス」と判示し之を救済して居る。)右何れからするも、原裁判所は仮に原裁判所見解の如く第七十三条に基く参加申立を不適法とするときは第七十四条に従う引受申立と解すべき職責を負うものである。然して第七十四条に基く場合審尋決定を要することとなり、未だ右裁判なきときに於て本案当事者の控訴取下ありたる以上巳むなきものと解せられる様であるが(斯く解するとすれば前論点に於て触れたような不合理を惹起する)、右第七十四条は本案当事者より承継人を強制加入せしめるため必要とする処置であつて且つかかる場合が通常考え得られる場合であるので、これを主として規定したもので承継人より進んで加入するに於ては右手続を必要とするものではなく権利承継人より進んで加入する場合何等裁判を要せざる点と比較するとき明かである。仍つて承継人より申立のありたるときは、当然引受人として当事者たるの地位を取得するものと解すべきである(引受決定前訴訟終了するときは何ら効なしとする前引用決定は本案当事者より引受申立の場合である)。従つて抗告人は右参加申立の当事者送達後に於て本案当事者たるべき地位を取得したもので、第七十四条に基く場合第七十三条の如く第六十二条の準用は無いのであるが、当然訴訟遂行権は引受人に移転し、前当事者たる被引受人は脱退を為すことは出来ても引受人の不利益に帰すべき訴訟行為を為す権限を有しないものである。然るにも拘らず右法令の解釈を誤り本案控訴人鈴木の控訴取下書提出ありたる為め本案は終了し、遠く第一審判決言渡後控訴期間満了の日を以て確定したりとし抗告人を判決確定後の訴訟物譲受人として執行文を付与したるは全く違法で当然無効のものである。

以上縷述したとおり原決定の基本たる債務名義に附与せられたる執行文は当然無効のものであつて、之に基き為した原決定は取消さるべきものである。

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